江戸時代、長く続いた戦乱の世が終わり、日本には平和な時代が訪れました。
小説なら、ここで「めでたし、めでたし」と物語が終わるところです。しかし、現実の人々の暮らしは、その後も続いていきます。
平和になると、人間は娯楽によって退屈を紛らわせようとします。ところが、江戸時代には、現代のようなゲームもテレビもスマートフォンもありません。娯楽施設も限られており、本も誰もが気軽に買えるものではありませんでした。
そうした時代に、男女の情事もまた、人々にとって身近な楽しみの一つだったのでしょう。わかりやすく言えば、男女が性的な関係を持つことです。
「大規模な停電が起きた後には出生率が上がる」という話が語られることがありますが、実際には必ずしも明確な根拠があるわけではありません。ただ、娯楽が少なく、夜の時間が長かった時代に、男女の関係が生活の大きな関心事となっていたことは想像できます。
壁一枚で隣とつながる江戸の長屋
江戸に住む庶民の多くは、長屋で暮らしていました。
火事が頻繁に起きた江戸では、住宅は簡素な造りになっており、長屋の部屋を仕切る壁も決して厚いものではありません。「隣の家の屁の音まで聞こえる」と言われるほど、生活音が周囲に筒抜けだったとされます。
そのような場所で男女が情事に及べば、声や物音が近所に聞こえてしまいます。
隣の家のおかみさんが、夜になると妙に楽しそうな声を上げている。そんな状況が続けば、気になってしまう人がいても不思議ではありません。
「あの旦那は、いったいどんな男なのだろう」
そんな好奇心から、隣の家の夫と関係を持ってみたいと考える女性もいたかもしれません。とはいえ、壁の薄い長屋へ男を引き込めば、たちまち近所中の噂になってしまいます。
そこで、人目につきにくい寺社の境内や、その周辺の物陰などが逢引きの場所として利用されることがありました。
江戸の町には木戸が設けられ、夜間の人の出入りが管理されていました。夜になってから不自然に外出すれば、木戸番や近所の人に知られる可能性があります。そのため、寺の境内などで、昼間の人通りが少ない時間を狙って密会することもあったのです。
立場とお金のある人はどうしていたのか
長屋に住む庶民には、人目につかない寺社の境内などで密会する方法がありました。
しかし、身分や立場のある人は、屋外でこっそり関係を持つわけにはいきません。もし誰かに顔を見られれば、大きな噂や問題に発展するおそれがあります。
そこで利用されたのが、「出会茶屋」と呼ばれる店でした。
出会茶屋は、表向きには料理や酒を提供する茶屋や料亭のような店です。しかし、その二階などには、男女が人目を避けて逢引きするための部屋が用意されていました。
現代にたとえるなら、ラブホテルの休憩利用に近い存在といえるでしょう。ただし、あくまで表向きは茶屋であるため、基本的には宿泊ではなく、短時間の利用を前提としていました。
誰もが出会茶屋の実態を知っているなか、正面玄関から堂々と男女で入れば、密会していることが丸わかりです。そのため、店によっては人目を避けて出入りできる裏口も設けられていました。
出会茶屋の利用料はどれくらいだったのか
出会茶屋の利用料は、一分金前後だったとされています。
一分金は、一両の四分の一にあたる金額です。ただし、江戸時代の一両の価値は、時期や物価、換算方法によって大きく異なります。そのため、現代の金額へ正確に置き換えることはできません。
仮に一両を十万円ほどと考えるなら、一分は約二万五千円です。
現代のラブホテルの休憩料金として考えれば、かなり高額に感じられます。当時、住み込みの女中が一年間働いて受け取る給金は、条件によって異なるものの、数両ほどだったとされます。
一年分の給金の一部にあたる金額を、一度の逢引きに使うことになるのですから、庶民が気軽に利用できる店ではありませんでした。
出会茶屋を利用した人々
出会茶屋を利用したのは、ある程度お金に余裕があり、同時に人目を気にしなければならない人々でした。
たとえば、大きな商家の後家、人気役者、裕福な商人、武家屋敷や大名屋敷に勤める女中などです。表向きには堂々と会えない相手と関係を持つために、こうした店が利用されました。
もちろん、出会茶屋を利用した男女が、すべて不倫関係だったとは限りません。しかし、身分や家の事情から自由に交際できない男女にとって、出会茶屋が秘密の逢瀬の場所になっていたことは確かでしょう。
江戸時代の不倫は命がけだった
江戸時代には、不倫は「不義密通」と呼ばれ、現代よりもはるかに重い罪として扱われました。
夫が、妻とその不倫相手が関係を持っている現場を見つけた場合、二人をその場で斬る「重ね斬り」が認められることもありました。
文字どおり、命がけの男女関係だったのです。
ただし、不倫が発覚するたびに二人を斬っていたわけではありません。実際には、奉行所や町役人、親類、仲介人などが間に入り、示談によって解決することも少なくなかったと考えられます。
場合によっては、不倫をした男性が「首代」として金銭を支払い、命を助けてもらうこともありました。その金額として七両、八両ほどが示される例もありますが、事情や身分によって金額は異なります。
不倫は厳しく罰せられる可能性がありながら、現実には金銭や話し合いで処理されることもあったのです。
上野・不忍池は逢引きの名所だった
江戸で出会茶屋が多く集まっていた場所の一つが、上野の不忍池周辺です。
不忍池の周辺には武家屋敷もあり、人目を気にする立場の人々が暮らしていました。また、不忍池は蓮の名所でもあったため、「蓮を見に行く」という自然な口実を作ることができました。
表向きは蓮見物。
しかし、本当の目的は、出会茶屋で待っている相手に会うことだったのかもしれません。
まとめ
平和になった江戸の町では、商業や文化だけでなく、男女の出会い方も発達していきました。薄い壁に囲まれた長屋、人気の少ない寺社の境内、そして人目を避けて利用する出会茶屋。
江戸時代の恋愛と不倫は、自由なようでいて、常に噂や処罰の危険と隣り合わせだったのです。
注意
江戸時代の貨幣価値や不義密通の処罰は、時代、地域、身分、個別の事情によって異なります。現代の金額への換算は、あくまで目安としてお考えください。